枕草子 四〇「ゆづり葉のいみじうふさやかにつめやき…」
枕草子四〇の譲り葉についての記述は以下のように続いています。
原文
四〇 花の木ならぬは
ゆづり葉のいみじうふさやかにつやめき、茎はいと赤ききらきらしく見えたるこそ、あやしけれどをかし。なべての月には、見えぬものの、師走のつごもりのみ、時めきて、亡き人の食物に敷くものにやと、あはれなるに、また齢を延ぶる歯固めの具にももてつかひためるは。いかなる世にか、「紅葉せむ世や」と言ひたるもたのもし。
現代語訳
四〇 花の木でない木は
譲り葉のたいへんふさふさと垂れてつやつやしていて、茎はたいそう赤く派手に見えているのは、品がないけれどもおもしろい。この譲り葉は、普通の月には、見られないものが、十二月の末日にだけ、幅をきかせて、亡き人の精霊に備える食物にも敷くものにするのだろうかと、しみじみとした感じがするのに、また、寿命を延ばすおめでたい歯固めの食膳の品としても使っているようであるよ。いったいどういう時なのか、「紅葉せむ世や」と歌にも詠まれているのも頼もしいことだ。
注1)「歯固めの具」:肉や餅などを新年に食べて、歯が落ちないように食い固めたという祝い膳。
この餅に譲り葉を敷く。(今も鏡餅の下に譲り葉を敷くのはこの祝い膳に由来しているのでしょう。)
注2)「紅葉せむ世や」は「旅人に宿かすが野のゆづる葉の紅葉せむ世や君を忘れむ」
(夫木抄・雑四)からの引用。譲り葉は常緑樹で紅葉しないためこのように詠んだ。(つまり紅葉する時に君を忘れるだろう=譲り葉は決して紅葉しないから決して君のことは忘れないということです。)